祭りといえば提灯のデパートのようですよね。ほのかに灯るちょうちんの灯りに誘われて一夜限りのワンナイトドリームフェスティバルの宴が始まる。今風に書くとこうなるでしょうか?
祭りには、踊りや山車が欠かせませんよね。例えば、阿波踊りやヨサコイ祭りは踊りが中心ですし、青森のねぶたは、山車が勇壮ですよね。そうそう、山車どころじゃなくて、神輿を忘れたら博多山笠の男衆や岸和田はだんじり祭りの猛者たちに囲まれてケリを入れられるところでしたよ。
このように、祭りの主体が違っても、また、その祭りの由来や伝統は違っても祭り提灯がない祭りはありませんよね。それは何故なのかな?
私はこう思うのです、これからは私の勝手な想像と意見だと思ってください。昔は、夜を照らすものは月の明かりと雪明り、夏限定で蛍の光くらいですかね。つまり、辺りは真っ暗なわけですよ。
だから、最初は火をかざして、つまり松明や何かで明かりをかざして祭りを彩った。これは、画期的なことだったのでしょう。 神聖な夜に祭りが出来るわけですから。
しかし、松明の火は飛び火をするは、火が露になっていて正に物騒な代物です。そこで、祭り提灯の出番と相成ったのではないでしょうか?安全で、安定した灯火が揺れる祭り提灯は厳かな祭りにも雄大な祭りにも受け入れられたはずです。
そして、現代に至る訳ですが、こんなに明るい現代にはもう祭り提灯は必要ないのでは?そう思いませんか?伝統だから、古くからの仕来たりだから?日本人はそんな伝統や仕来たりをことごとく破って来たではないですか?でも、無くならないのです。
その理由を私は知っています。祭り提灯は古くから日本人を見つめ、その暖かな灯火で見守って来た生き証人だからです。そして、何よりもあの揺ら揺らゆれる灯火を他のものでは代替できませんから。